アメリカの生活

Uncomfortable Conversations ー心地よくない会話

最近、“Uncomfortable Conversations with a Black Man”(あるブラック男性との心地よくない会話)という動画を観ました。テキサス州出身のNFL選手エマニュエル・アチョ氏が、人種についての問題を様々な立場の人と、互いに少し心地悪く感じるほどに踏み込んで、オープンに対話をするという動画シリーズです。対談相手には、白人の警察官やアカデミー賞受賞俳優、また黒人男性と結婚した白人女性や黒人の子供を養子に迎えた白人夫妻などもいました。

あるエピソードの中で、彼が次のことばを引用しました。
“Compassion without confrontations are like fruitless, sentimental, commiseration.”
(衝突することもないようなただの同情は、実りのない、感傷的な哀れみにすぎない。)

何度も反芻しなければ理解できないほど、パワフルなことばです。時に衝突しても、同じ崇高な目的のために前向きに対話を続けることは、容易ではありません。自分のエゴやプライドを捨てて真に謙遜でなければ、大きな目的を成し遂げるために建設的な会話をすることなどできません。

以前、あるアメリカ人の友人から
「日本人は意見が対立すると、どうしてすぐ途中で対話することを諦めてしまうんだろう」
と問われたことを、思い出しました。
雲行きが怪しくなると、波風を立てないようそれ以上は踏み込むことなく、あやふやなままその話題には蓋をする……。意見が対立しても諦めず、その先を目指してなお意見を交わす、という姿勢は、私たちには欠けているかもしれません。

先述のアチョ氏は、「黙っているのは、それを承認しているのと同じ」とも語っていました。

英語が理解できるようになっても、つくづく自分が日本人だなと思うのは、このようなコミュニケーションの違いを目の当たりにした時です。
さまざまな背景の人々を理解し、共に生きていくためには、やはり自分の意見や思いをしっかりことばにして、相手に伝えることが大切だと思わされます。心地よくない会話さえ、オープンにできる…… その先に本当の友情が生まれるのだと思います。

(霜)